「えっ?これが蕎麦・・・」
初めて食した富倉蕎麦の食感と味わいを30数年の歳月を経た今も忘れることが出来ません。
家族を伴って小さな宿を営むために信州斑尾高原に移住して間もない頃の事でした。
富倉蕎麦の美味しさに魅せられた私は集落の蕎麦打ち名人に手解きを受け、私の蕎麦打ちの日が始まりました。
それから数年後、
県外不出と言われた”富倉蕎麦”を看板に東京神楽坂に”酒蕎庵まろうど”を開店した私は
大都会の中心地で閉店までの19年間、富倉蕎麦の美味しさを伝えたい一心で蕎麦を打ち続けました。
2018年5月、私は【酒蕎庵まろうど】で支えてくださった大勢の方々への感謝を胸に東京生活を無事に終え、
標高1000mに拓けたリゾート地・斑尾高原に帰ってきました。
唱歌ふるさとの歌詞にある”かのやま(斑尾山)、かの川(斑川)”は斑尾高原エリアにあります。
私は今 ”山は青きふるさと、水は清きふるさと”で再び富倉蕎麦を打ち、ご宿泊のお客様にお召し上がり頂いています。
そして神楽坂店閉店後も
「細く長い蕎麦のご縁」で出会えたお客様とは北陸新幹線で東京から飯山まで1時間40分の旅となり繋がっています。
例年、雪解けとともに訪れる芽吹きの季節には山菜と蕎麦を楽しみに宿泊のお客様をお迎えしていましたが、
今年は残念ながら非常事態宣言発令で休業することになりました。
新緑が美しい季節に不似合いなほどの静けさが続くある日、お客様から蕎麦のお届け依頼を頂きました。
とっさに「楽天市場」で蕎麦通販サイトを営んでいたことを思い出しました。
沢山のご注文を頂き、私と息子、娘婿の三人で蕎麦を打ちお届けしていました。
神楽坂出店前の懐かしい日々です。
あれから十数年の時を超えて、新たな気持ちで蕎麦打ちに向き合う機会に恵まれました。
”斑尾高原の湧水で打つ伝承の富倉蕎麦”をよろしくお願いいたします。
2020年6月 宿と蕎麦処 店主 小川彰
東京神楽坂店 酒蕎庵まろうど (1999~2018)